This is 論語! <Rong! >The Analects of Confucius[1]

 

 

 論語!

 

 折に触れ、中国の古典などに親しむことにしている。奮起して学に志した、という訳でもない。覚えては忘れ、忘れては思い出し、時の流れと日本海・東シナ海を挟んだ水平線の彼方の国の人が書いた言葉に触れるのが楽しい、というだけのことだ。

 そのような有様だから、満足に覚えた言葉、というか詞と言うかは、不勉強ながら、無い。しかし、手勺で一杯やりながら文庫本をひもとき、パラパラとめくるページの向こうに陶さんの晴れやかな笑顔の皺が見えたり、白楽天さんの雄大な詩心に触れることが出来たような気がしたり、しなやかな柳の葉の向こうに黄色い鶴に乗った仙人(中国のサンタクロースなのかも知れないなぁ)がユラユラと飛んでいるのを感じたりしたときは、なかなか赴き深いものに触れた様な気分になる。

 本当に、不勉強で、生来のものぐさなためか、一歩二歩と更に進んでより古いもの・ポピュラーなものへとは、なかなかに進まない。論語の通読すら、未だ終ってはいない。読書百へん意自ずから通ず、だとは分かっていても、安易な方向に流れ、孔子の生涯を子供向けに解説した本や小説などで「ふーむ、なるほど、ふむ? うんうん。」などと、結構満悦していたりする。我ながら、かわいいものではあるが少々情けない。

 

 私程度の無教養、無学問のものにも孔子の言葉には、なかなか味わい深いものがあったりする。

 言葉に込められた意味を推理する楽しみと、その言葉を生み出すに至った孔子の経験や学識を推理する楽しみ、などが今の私にとっては面白い。「我十有五にして学に学び立つ云々 」などというのも、実は深い意味があったのだと知るのはシャーロックホームズを読むのと同じくらい面白かったりする。勿論、この様な読み方が正統的ではなく「邪」という文字が頭に付けられる類の読み方であるというのは、承知しているつもりでは、あるのだが。

 その中で、どう考えても、君子の道とは直接に結びつかない言葉がある。それは、「女と小人は度し難い。近付ければつけあがるし、とうざけると疎んじる」である。この言葉が孔子の言葉であると知ったときは君子である孔子の人間的な一面をかいま見たような気になり、より一層の親近感を抱いてしまった。

 大刀を得意とし群を抜く腕力と実行力をもつ人間を忠実な弟子となし、見事な弁舌と政治力をもつ弟子をたしなめ、諸国の王達からはあるいは優遇され、あるいは疎んじられ、軍隊に包囲され飢えに弱りながらも楽音を楽しむことを忘れない、といった孔子が? 女と子供には手を焼いていた、または手を焼いた経験があるのだなというのは楽しくも、またちょっぴり悲しくもあるが、取りつく島を見つけたような気分では、ある。

 何でも、孔の家というのは長い歴史をもつ中国でも長く続いた家柄で、現在でも孔子の子孫という方が生きておられるという話しを聞いたような気がする。これまた、いいかげんな記憶によれば、九十何代かという、日本では天皇家でもなければ匹敵する家柄はないのではないか? という歴史である、と思った。で、あるから当然妻帯し、子供も孫もいた筈ではあるのだが?

 今まで読んだ本には孔子の息子というのは出てきたような気はするが、それさえも道においては実の子供も弟子も同じ様に扱った、というお話の中で触れる程度で、父母を除いた孔子の家族、殊に妻や娘、孫などというのは、少なくとも私の記憶にはない。

 どの様な、なれ染めだったのだろうか? 見合いだったのだろうか? 恋愛だったのだろうか? やはり、大臣として、儒学の教えに基づき政策をとっていた頃だろうか? 諸国を放浪していた孔子の傍らには、片時も離れずに、妻の姿があったのだろうか? 志し高く、貧しい生活を送っていた際の経験から、あの言葉が生まれたのだろうか? それとも、それ以前の政治と道の探求に没頭する生活からだろうか? それ以前の蜜月の終りのころなのだろうか? それ以前の、学に志す頃の少年孔子の経験、孔子の初恋ということになるのだろうが、からだろうか? それとも????

 謎は深まるばかりであるが、何れにしろ、君子ならざるものの想像は、やはり品が無い、というが自らのゲスさ加減が全面に出てしまう。もし、御本人が生きておられたなら、温厚な人柄の孔子先生が「廊下に立ってろ!」などと一喝しそうでは、ある。

 元よりの浅学ではあり、ものぐさな性格も手伝って、単に勉強不足というのが妥当な線なのかもしれないのだが...

 

 ところで、今、私がこの言葉を考える際に、女・子供という線ではこの言葉を考えるには、不適当であろうと判断せざるを得ない。近付け過ぎれば、つけあがり、遠ざければ疎んじるのは、何も女・子供の特徴では、今日では無いような気がする。これは、孔子の生きていた時代の大人の男が偉かったのか、それとも今日の大人の男と称している人間というのが孔子の時代の女・子供の範疇に入ってしまう位に情けないのか、どちらかであろう。勿論、孔子の言葉には、近付ければ付け上がり、遠ざければ疎んじるのは、女・子供の特徴であるという意味は読み取ることは出来ても、逆の意味の事柄を真偽は、勿論、私個人が責任を負うべき拡大解釈ではあるのだけれど。

 遠ざけられても、疎ましく思わない。近付き過ぎても、付け上がらない。というのが、男として正しい生き方である。つき合う相手との距離に応じて心のままに、振舞うのが許されるのは女・子供だけであり、一人前の男として扱われないことを暗に認めた上でのみ、である。というのが、むしろ孔子の教えであろう。これは、人間関係というのは信義を重んじ、互いを心から敬い、大切に思うことからはじまるのだという、礼の教えに一致する。残念ながら、現代の日本という風土においては、遠くにいるから(反撃される心配がないから)悪口を言い、近くにいるから(相手を完全に理解したつもりになって)悪口を言う、という女・子供と呼ぶべき人間が、極めて当り前のように市井を一人前の男の顔をして闊歩しているような気がする。勿論、私の思い違いであり、現実にはそんなことはない、のであるならば、嬉しい誤算というべきものだろうが

 直接的に結び付かないとか、書いておきながら、直接的な訓示とでもいうべきものを書いてしまったことは、若干、反省している。この様な解釈とでも言うべきものを書き示すつもりは、無かったのだが。つい、持前の小人さが顔を出してしまった。君子の道は険しく難い、といったところだろうか。

 男、などと、難しい言葉をだしてしまったが、この近くにいても、遠くにいても、というのは、また、同様に妻や恋人としての理想的な関係でもありそうな気がする。少なくとも、その様に変らず慕ってくれる女性というのは、私から見ると、大変に可愛らしく見える。自分の妻・恋人ではないにしても、誰かをそのように慕っている女性というのは、健気で可愛い、と思う。まあ、この妻・恋人としての理想の振舞い方というのは、孔子とその弟子達の間で、別の機会に議論して結論を出しているので、これはふと思い付いて書いてみた、という程度で、孔子がこう述べているのではない。もし、妻・恋人としての孔子の理想というのが知りたい方は「論語」または、孔子の教えについての本を直接あたってみるのが、よろしいのでは、と考える。妻・恋人の理想については、人名は忘れてしまったが、帰らぬ夫を数年待ち続けた妻二人が実際例として述べられているので、当時(春秋戦国)という時代、そしてそれ以前の中国における夫人問題の例としても、面白く読める筈である。そして、もし興味をもったら、私はまだ実現させていないが、「論語」の通読、そして再読をお勧めする。偉そうに人に勧められる、そして、偉そうに孔子の言葉をネタにした文章など書ける立場などではないが、面白く為になること、請け合いである。

 

      終り

 

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7/25/03 6:50:03 PM JMT modified.

 

 

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[1]Progressive Japanese-English Dictionary, Second edition © Shogakukan 1986,1993/プログレッシブ和英中辞典  第2版  ©小学館 1986,1993