深夜の帆船

 


 彼女とは今のところ、仲の良い年下の女友達という関係だった。深夜になると人気の無くなるこの町のコンビニで出会い、改まった食事とか、映画とか遊園地とかいうつき合いはまだなのだが、なんとなくいい雰囲気での人のいなくなった夜の街を散歩するというカタチでつき合いが続いている。

 出会いは、クーラーのところで一度ぶつかり、レジで再びぶつかるという失態だった。何となく、彼女に申し訳なくてコンビニの袋をぶら下げたままファミリーレストランで夜食の申し出をして、彼女がそれを受け入れてくれた、という夜からだ。

 彼女は女友達というよりも、夜食友達とでも呼ぶのがふさわしいのかも知れない。どこという目的もなく散歩し、目に付いたところで夜食して、なんとはなしに、とりとめのない話しをフワフワと交わし、また散歩してそれじゃあと分かれる。男と女というのは意識しないまま、今まで来ている。一度、散歩の途中で手をつなぎ、ドキドキすることもなくそれ以上に進展することも、次に会った時に気まずい空気が流れるでもなく、だ。

 散歩の方は、彼女の気まぐれな想像力にそろそろ腰の辺りが重くなる年頃であるコチラが振り回される形になって来た。ある夜の僕らはインジャンジョーのいる洞窟を歩むトムソーヤとベッチィだったし、ある夜はモルグ街を散策するデゥパンとその友人(あろうことか、僕がデゥパン)となり、ネバーランドの寝静まったジャングルの家路を急ぐピーターとウェンデイになったこともあった。どうやら彼女の空想力は人気のない夜の町並みに誘発されるものらしい。

 それは、アルコールに弱い彼女がデザートにスパークリングワインのシャーベットを選び、お代りした夜のことだ。僕らは、ほどほどの疲労感と満腹感とやさしい夜の空気で、ほどほどに、幸せな気分だった。彼女の方も、ふらふらと歩道を歩き、時々小走りになっては立ち止まり、まるで3才の少女が父親を待つような媚を見せてはこちらを見つめ、腕に捕まってはケラケラと笑いころげる、という幸せなホロ酔い状態だった。いつもの散歩道を外れてこの街では大きな公園に向かったのはそんな彼女の気まぐれのせいだった。

 公園は一部工事中だった。寝静まった空気を通して工事中であることを示す黄色の看板に囲まれて2本の鉄の柱が立ち、その柱の中ほどに四角い屋根の骨格が格子状に組まれている。工事中の安全のためなのだろうが格子の下には目の粗い網が静かな風に波だっている。

 僕の前に立ち、ベンチの上に危なげに立っていた彼女の後ろ姿が不意に凝固した。ゆっくりと右足を上げ、両手を広げてバランスを取っていた姿勢が、ふざけていたところを「生活指導の教師」に見つかり、何とかごまかそうとしている真面目な女子中学生のようにキオツケの姿勢へと変化した。

 ゆっくりと動く夜風が彼女のスカートの裾と髪をなぜていく。彼女はキオツケの姿勢のまま、首を少し上向きにして工事中の柱と屋根を凝視している。

 小走りに彼女の後ろに立つ。知らず知らずのうちに忍び歩きになっている。なんだか背筋が寒くなった。

 後ろから両肩を軽くつかんでも彼女の金縛りは解けず、力を抜いて直立し両手を両脇に垂らしたまま、工事の柵の向こう側を見つめたままだ。

 「どうしたの? 」ササヤキ声になってしまった。

 「船、」と彼女も姿勢を全然変えないままササヤキ声で答えた。

 「船? 一番近い海辺でも100キロぐらいはあるよ。」

 「違うの、帆船、2本マストの。」

 「帆船? 」彼女が何を言っているのか全然、分からなかった。加えて、こちらを振り向きもしない。

 「ここがちょうど舳先よね? 」

 「へっ? 」

 彼女の断片的な言葉をつなぎ逢わせると、工事中の公園の柱と屋根と事故防止用のネットが帆船に見えるらしい。どうやら、工事現場に彼女は地中に埋められ、マストと帆だけが地上に出ている帆船を見つけたらしいのだ。

 「ともかく、コーヒーにしないか? 」

 という訳で、真夜中の人気の無い都市の、海からはかなり離れた公園に、マストだけを出して地中に埋まっている帆船を見つけ出した彼女と僕は、いかにも夜食友達らしく、近くにある国道沿いのファミリーレストランのボックスの一つにテーブルを挟んで、位置することになったのだった。今夜2回目の夜食となる。うむ。

 「ホットスティックサラダのマスタードマヨネーズと、ホットケーキと紅茶と、それからっ、やっぱりお肉は止めた方がいいわよね? シーフードサンドと、トリアエズこれでいいわ。あなたは何にする? 」と、彼女は注文を取りに来たウェイターに元気良く注文を終え、何事もなかったようにいつもの笑顔で僕に微笑みかけた。

 「ホットコーヒーでいいよ。」

 「こーいうとこの、この時間のコーヒーは止めた方がいいわよ。コーヒーボイラーか大きな業務用のポットで沸かすでしょ? 時々、時間の達ち過ぎと煮込み過ぎて酸味が立ち過ぎのコーヒーに当ることがあるから、ココアの方が無難よ。」

 「へぇーっ、詳しいね? じゃあココアにしてください。」

 ちょっとムッとした表情で何か言いたそうにしている、学生アルバイトのウェイターは、「少々お待ち下さい」とマニュアルよりもちょっと深めに御辞儀をして、立ち去った。まだまだ、宵っぱりの多いこの辺りでは、そんなに遅い時間ではないのだが、ちらほらとシートが埋まっている程度で、帆船の話しの様な話しをするには差し支えの無い程度しか、いない。

 「さっき、あんなに食べた後なのに良く入るね? 」

 「食べ盛りの年頃だし、ダイエットの必要ないもの。」